「法事は何回忌まで勤めたらいいのですか」と尋ねられることがあります。
こうした質問は、概して、年月が経って故人への想いがうすれ、法事を営む煩わしさや負担感が増してきた頃に出てくる場合が多いようです。少なくとも、法事を積極的に勤めたいというのではなく、しかしながら「故人の供養のために〝区切り〟になるところまでは勤めてあげねば・・・」という心境なのでしょう。
そして、その〝区切り〟が五十回忌だと思っている人が多いようです。
「法事は五十回忌でおしまい」という捉え方には、多分に民族宗教の影響があります。すなわち民族宗教では、亡くなると年忌ごとに〝追善供養〟し、死者の霊を鎮め、浄めます。これを怠ると霊が迷ったり、時にはタタリとして我々に災いをもたらします。そうならないためにも、きちんと法事を勤めなければならないわけです。で、五十回忌まで勤めると、死者の霊は完全に浄化され祖霊(カミ)となります。祖霊になるともう災いをもたらすことはなく、我々の役目も終わる-という図式です。
しかし、これでは極端に言えばタタリを起こさないために法事をするようなものではないでしょうか。そこまで言わないまでも〝故人のために〟法事を勤めることになります。
仏教では、そういう法事の捉え方はいたしません。故人のためではなく、あくまで〝私のため〟の法事です。つまり、今こうして生かされている私のいのちの尊さを、故人・先祖を偲びつつ味わわせていただくのです。生前、ともに生活した故人であれば、その遺徳を偲び、また遠い先祖の方であっても、そうした方がたのおかげで私のいのちがあり、何よりも尊い仏法を伝えて下さったことを慶ぶのです。
ですから「五十回忌でおしまい」ではありません。故人を起点に考えるのではなく、私を起点に、生きている限り、努めて法事のご縁を持って下さい。なお、五十回忌以降は通常、五十年おきに勤めます。