ふじおかゆうやのガバイはなし vol.07 「慣れ」

安楽寺法務員 藤岡融也

 みなさんこんにちは。法務員の藤岡です。いかがお過ごしでしょうか。佐賀県出身の僕ですが、この暑さには耐えられません。暑さには慣れていると思われていますが、北海道はもっと涼しいと思っていたので余計に暑く感じます。裏切られた気分です。それとも北海道に慣れてしまったから暑さに弱くなったのでしょうか。今回はこの「慣れる」ということについて考えてみました。
 さて、いまだ終わりが見えない新型コロナウイルス感染症ですが、コロナ禍になり混乱が始まった時と今ではずいぶん感じ方が変わってきました。初期の頃は手指消毒、換気など感染対策に気を配り、感染者数の増減に注目し、一喜一憂していました。しかし今はどうでしょうか。感染者数が何百人、何千人になろうと、全く驚かなくなりました。基本的な感染対策もしていない訳ではありませんが、そこまで徹底しているかと言われれば、していないと答えるのが正解でしょう。これはコロナ禍に「慣れ」てしまったことが原因だと思います。それが今の感染者増につながった一因といえるのではないでしょうか。
 そしてもう1つ、「慣れ」が来始めていることがあります。それは2月24日のロシアのウクライナへの突然の侵攻です。侵攻当初の頃、テレビでもインターネットでも盛んに報じられ、ウクライナのことを聞かない日はありませんでした。ただの傍観者になるだけでなく、世界中に支援の輪が広がり、日本からも支援がありました。何かできることをしようと地道な募金活動もありましたし、結果として総額50億円に達したそうです。これはみなさんがウクライナのことを一心に思い続けていた結果だと思います。
 しかしながら、今はだいぶ報道の過熱ぶりは落ち着ついてきたように見えます。忘れている人はいないでしょうが、あまり気にしなくなった人は確実に増えていると思います。僕自身も最初はずっと気にかけていましたが、忙しい日々の中で忘れかけていました。なによりニュースで「ウクライナ疲れ」というワードがでたのをみてハッしました。これも一種の「慣れ」からくるものではないでしょうか。
 なにもウクライナに限った話ではありません。私たちはたくさんの災害を経験しており、その度に支援をしてきました。しかし今はどうでしょうか。今なお支援を続けている人はいますが、ほとんどの人は忘れてしまっているでしょう。「慣れ」とは本当に恐ろしいものです。忘れていたわけではないものの、当たり前となると関心がなくなっていってしまいます。関心を持ち、行動することは大切です。そしてそれを続けていくことはもっと大切で、とても難しいことです。「慣れ」てしまったいまだからこそ初心が肝心なのではないでしょうか。
 僕自身も安楽寺にきてはやいもので4年という月日が経ちました。石の上にも三年といわれますが、いよいよ4年目です。1年目の僕と今の僕には確実に自分で気づかないだけでたくさんの「慣れ」があると思います。この4年目という年を節目に、何事も当たり前だと思わず、1年目の初心を思い出して過ごしていきたいと感じました。  合 掌

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