恵光山 常照寺開教100周年記念慶讃法要 令和3年10月12日

 去る10月12日、母親(前坊守)の生家である恵光山 常照寺様が赤平の地に開教され100年という大きな節目をお迎えいたしました。本来であれば昨年が当年となりますが、新型コロナウイルス感染症拡大により残念ながら法要をお勤めすることが出来ず、1年遅れて100周年ということでこの度その記念慶讃法要をお勤めいたしました。稚児行列など賑々しくお勤めしたいご希望がありましたが、世相を鑑み規模縮小にて有縁の道俗参集のもとお勤めをさせていただきました。
 常照寺様の前進は、明治37年、島根県大家町(おおいえちょう) 西臨坊様次男、後の歌志内廣大寺様開基住職 佐々木哲夫(ささきてっぷ)師(当時35歳)が、幌岡、平岸、芦別に掛けて教線を張り布教にあたられ、大正7年に茂尻共同墓地西隣の高台に廣大寺様の説教所を建立をされました。これが常照寺様の開基となります。
 そして昭和5年に茂尻1条通りにあった茂尻劇場を譲り受け、本堂50坪、庫裡40坪を建立して「廣大寺茂尻説教所」として常照寺様の基礎を建立されました。昭和9年に廣大寺副住職であった常照寺開基住職佐々木重誓師が茂尻説教所の管理者となりますが、世は戦争という時代に突入して参ります。昭和14年春に妻子を伴い陸軍中尉として満州に出征され、昭和16年春に復員され、終戦後の昭和24年に現在の地に、庫裡を新築、鐘楼堂を建立されました。昭和26年に寺号公称の認許を省庁よりいただき、昭和32年に現在の本堂が建立され、常照寺ご隆盛の時代に突き進んで参ります。産炭地として大変な賑わいをみせる街であり、たくさんの人々がお寺を訪れ、ご法要も大変賑やかにお勤めされていたとお聞かせいただいております。また時には炭鉱で悲惨な大事故が起こり、毎日のように臨終勤行、お葬儀にひた走る開基住職様のお姿があったこともお聞かせいただいております。昭和38年6月には本堂が火災により甚大な被害をうけるも、その年の秋より住職自ら本堂修復に着手し、翌年の10月に本堂を再建することが出来ました。現本堂の内陣の極彩色は住職自ら筆を執り仕上げられたとお聞かせいただいております。
 現住職 重昭師は平成6年10月に第2世住職を継職され、現在に至りますが、その間、老朽化していた納骨堂の建替や、ご門徒様がお寺にお詣りしやすい環境作りを心掛け、各ご法要には、全門信徒の殆どが足を運ぶ親しみやすいお寺として、過疎化が進む地に存在意義をもたらし、篤信のご門徒をお育てになっておられます。
 また、この度のご慶事に際し、先程お伝えいたしました、開基住職様が火災の修復の際に自ら率先して修復なさったその姿に感銘を受け、昨年の4月より、この度のご法要に向けて、長年の風雪に耐えてきた各部の補修、本堂向拝に至っては自ら筆を執り、極彩色に仕上げられました。様々な思いを抱きながらこの度のご法要をお迎えさせていただいたことであります。
開教以来百星霜、幾多の辛酸を嘗め、今日のこの繁昌は開基住職、坊守のご努力、御教化はもとより、お寺をお支え下さった多くの門信徒のおかげと、頭が下がるばかりであります。この度は誠におめでとうございました!(住職記)

常照寺本堂伽藍外観

御住職様自ら御修復され、美しい極彩色に仕上げられました!

常照寺本堂内陣荘厳

旅所勤行

稚児行列は出来ませんでしたが、旅所勤行(稚児の準備をするお宿)だけを総代長の西村さん宅にてお勤めいたしました 皆さん大変喜ばれておりました!

常照寺本堂前で記念撮影

常照寺開教100周年記念慶讃法要

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