私がアメリカのロサンゼルス別院に奉職していたころ、お寺の近くに小さなジャズバーがあり、そこに初めて行ったときの話です。
店の外観からするに、あまりというか、まず日本人の観光客が訪れることがない様な雰囲気の店で、バーには私ともうひとり、鶏のトサカ頭の暴走族風な兄ちゃんがいて、だいぶできあがっている様子で、突然私に泣きながら話かけてきました。(その時は来たことをものすごく後悔・・・)
「おまえ日本人?おまえ、アメリカの飯はまずいって思ってるんだろ?なぁそうだろ?」
「勘違いするんじゃねーぞ。アメリカの飯が特に不味いんじゃーない!お前の国がものすごく恵まれてるんだよ!なぁそうだろう?」
「ふざけんなよファッキンジャップがぁ。俺だって味噌汁は大好物なんだよ。」
「お前たち日本人は卑怯だ。ずるい。同じ国でこの差はなんだよ糞が。ファッキンジャップ、ファッキン、シット、ミソスープ」
生まれて初めて泣き上戸の外人に出遇い当初は驚かされましたが、間に入ってくれた店員さんから話を聞いてみると、彼は大の日本好きで、普段はこんな乱暴な話し方はしないが久々に店に日本人が来たから仲良くしたかったのでは?とのこと・・・
酒が抜けたあとで話をしてみたら、見た目に似合わず誠実な人で、この時の事も素直に謝ってくれました。私が近くのお寺でお坊さんをしているということを伝えると、更に驚いた様子で、今度の日曜お寺に彼女と一緒に行ってもいいですか?と言ってくれました。
何年か前に日本に旅行に来たことがあって、そのとき食べたおにぎりと味噌汁が忘れられないのが日本を好きになったきっかけだそうです。
私たちは、ひとりひとりがそれぞれの価値観(考え方)を持って、できるなら間違いをおかさず、人を傷つけず、なるべく正しい行いをしながら生きて行きたいと考えています。しかし、一番正しいと思っている私の考えは、やはり他人から見ればそれは偏見だ!と言われても仕方のないことが度々あります。
青いから美しい、赤だから刺激的、と優劣や善悪の判断を容易にしてしまう私たちには、どうしても自分に都合の良い見方しかできないため、本当に大事なことや大切なことを見つめるチャンスを失っていることが時々あるのかもれません。
ありのままに物事を見ることができない私たちだからこそ、今日もまた手を合わさせていただく生活を送るのかもしれませんね。