「やすらぎ」25号発刊にあたり

安楽寺住職 横湯 誓之


 盛夏の候、門信徒の皆様におかれましては、ご健勝にてお過ごしのこと大慶に存じます。また、日頃より、当寺護持発展のため何かとご尽力を賜っておりますこと、厚くお礼申し上げることでございます。
 さて今年もお盆をお迎えする時節となりました。どのお寺でも8月の頭からお盆詣りにお寺さんが歩かれ、お忙しくされていることと思います。当寺も8月1~11日迄の間、ご門徒のお宅一件一件をお詣りに歩き、12日は報恩講へ向けた役員会開催の後、里塚霊園にある安楽寺の墓へ役員さんとともにお詣りし、13~16日迄の間は、お寺の納骨堂でお詣りをしております。特に16日は、お盆の締めくくりとして、午後1時より、毎月の命日講に併せて「盂蘭盆会(うらぼんえ)」をお勤めさせて頂いております。近年は、新たに大切な方々を亡くされたご遺族の方々が大変多くお詣りされるようになりました。
 正午におとき(お講の当番の皆さんにお作りいただくお食事)をよばれ、本堂にてお勤めの後、布教使様より、お盆について大切なことをお取り次ぎいただいております。
 考えてみますと、私たち日本人は、お盆・お彼岸など、仏教にまつわる大切な行事には必ずお寺の納骨堂や、墓地へお詣りしているのではないでしょうか? 時代が変わり、人が変わっているにもかかわらず、この習慣だけは、形式が多少の変化をとげても継続しています。純粋なこころでお詣りをする、手を合わせるという行為は、私たちの身体や心に身に付いている大切なものの一つでありましょう。そしてそれは、知らず知らずのうちに「真(まこと)」に気づかせていただいているということなのではないでしょうか?
 仏教をお開き下さったお釈迦様は、「真(まこと)」を説かれました。ほんとうの真実とはなんでしょうか?煩悩を抱えたこの私たちに「真(まこと)」を示すため一番分かりやすくお伝え下さったことは、私たち人間は必ず、一人ひとり、たった一つのかけがえのない命をいただいている身であるということです。そして必ず一人ひとり、命終わって行く・・・。「生者必滅」、生ある者は必ず滅し、「会者定離」、出会った者とは必ず別離れていかなければならない。まさに 「真(まこと)」、真実を説かれています。ですから私たちは、無常の苦しみを抱きながら生きていかざるをえないのです。しかし、浄土真宗の開祖・親鸞聖人は、そこに安心して日暮らし出来る術を私たちへお残し下さいました。それは、先立たれた私たちの先人を決して「ケガレ」として扱わず、「仏」として敬うということです。一般的に「死」に関することは「ケガレ」として忌み嫌われる傾向にありますが、親鸞聖人は、お念仏のみ教えに生かされた者は、命尽きたとき、浄土へ生まれ、阿弥陀如来という仏様と等しい覚りを得るのである。そしてこの世に還り来て、残された私たちを導いてくださる「仏」 となられるのだ、と説かれています。
 それは、私たちが口々に頂く「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と現れ出でて下さっています。私達はそのお念仏をいただきながら、自分のありようを省みて、あらゆるものへの感謝の心を忘れずに生活することが肝要です。そしてこのことに私たち一人ひとりが「気づく」ことが一番大切であり、信心を頂くことに繋がっていくのだと私は頂戴しております。
 お盆を迎え、先人を偲ばせていただきながら、今一度、大切なことを振り返ってみませんか?

合 掌