ふじおかゆうやのガバイはなし vol.01

 みなさん初めまして、この度3月16日より安楽寺の法務員としてお勤めさせていただきます藤岡融也(ふじおかゆうや)と申します。慣れないことばかりで不安いっぱいですがよろしくお願いします。私は九州の佐賀のお寺の三男坊の生まれで、高校まで地元の学校に通っていました。その後、京都の龍谷大学、龍谷大学大学院、中央仏教学院と学ばせていただきました。そして友人の薦めや、様々なご縁があってこうして安楽寺様にお世話になる運びとなりました。
 さて表題にもありますようにこのコラムは「ガバイはなし」とあります。そもそも「ガバイ」とはなんでしょうか?みなさん「佐賀のがばいばあちゃん」という映画を覚えているでしょうか。そうです、その「ガバイ」です。この「ガバイ」は佐賀の方言で「とても」「非常に」という意味です。例えば「ガバイすごか」(とってもすごい)という使い方をします。北海道の方言の「なまら」に近い言葉だと思います。その僕が感じた「ガバイ」を紹介します。
 みなさん、佐賀といったら何を思い浮かべるでしょうか?…今、ちょっと考えましたね。そうです佐賀といえばこれだ!というものはなかなか出てきません。ですからみなさんに佐賀を知ってもらいたいと思いたちまして今回は佐賀のガバイ所を紹介します。
SAGA さが♪ SAGAさが♪ もうわかりますよね。そうです。はなわです。他県の人に佐賀を紹介すると「あ、はなわの歌の所ね」と高確率でかえってきます。ここではっきりと宣言しておきます。はなわの例の歌。あれは話を盛りすぎです。はなわの歌っている通りの佐賀なら未だに佐賀は未開拓の地といえるでしょう。しかし悲しいことに他県の人の大体の佐賀のイメージは、はなわによるものです。勘弁してください。佐賀にはもっとガバイ人がいるのです。それは江頭2:50です!…有名人を紹介するのはここまでにしましょう。    
 冗談はさておき実は佐賀と北海道をつなぐ偉大な人物がいるのです。札幌市役所の一階に銅像があるのをご存知でしょうか。北海道開拓の父と言われている島義勇です。意外に島義勇が佐賀出身だと知っている人は少ないのではないでしょうか。ちなみに札幌の町が碁盤の目になっているのは島義勇の構想なのです。なぜ佐賀出身の島が北海道開拓を担ったかというと、実は当時の佐賀は今では信じられないほど時代の最先端を進んでいました。佐賀は日本唯一の貿易港であった長崎の出島の警護をしていたことから、直に欧米の雰囲気を感じることができたのです。そこから当時の佐賀藩主のであった鍋島直正は日本が欧米に比べていかに遅れているかを悟り、このままでは外国に支配されてしまうと感じました。その危機感から佐賀の地で次々に新しい政策を推し進め、先進的な学校を開いたのです。その学校の生徒には赤十字社の創始者である佐野常民や廃藩置県を行った江藤新平、後の総理大臣である大隈重信、そして島義勇、などなど近代日本の基礎を作った多くの人物を輩出しています。その政策の一環から北海道開拓の任を佐賀藩が請け負い島義勇が選ばれたのです。島義勇による北海道の調査は『入北記』としてまとめられています。みなんさも一読してはいかが?
 佐賀と北海道。端と端ですが意外なつながりがあることを知っていただけたでしょうか? 個人的な話ですが月参りにお伺いしていると「祖父が佐賀出身、家の先祖は佐賀」という話をたまに聞くと嬉しく感じます。僕も島義勇のような開拓精神をもってこれからも精進していきます。よろしくお願いします。

この記事が掲載されている寺報やすらぎ