ふじおかゆうやのガバイはなし vol.08 「当たり前」

安楽寺法務員 藤岡融也

 みなさんこんにちは。寒さが身に染みる季節となってきました。僕にとって北海道での4年目の冬となります。冬道の運転も多少は慣れてきたと思っていましたが、去年の大雪でその自信も全くなくなりました。今年も去年と同じく雪が遅くて本当に降るのかと心配していましたが、ちゃんと雪が積もりました。降ったら降ったで今度は去年のような大雪にならなければいいなと毎日心配しています。
 さて、今回のがばい話は安楽寺の「報恩講」から感じたことをお話できればと思います。すでにご存じの通り今年の報恩講は今までにない形でのお勤めとなりました。それは当寺住職が報恩講直前に新型コロナウイルス感染症に罹患してしまったため、苦渋の決断として住職は出勤しないという判断をしたからです。本来であれば報恩講というのは賑々しくお参りするのですが、今回ばかりは法中の皆様全員にもお休みを頂き、門信徒の皆様と法務員のみでのお参りとなりました。
 従来の報恩講とは違った形でしたから、いつもにはない緊張感がありました。初日は初逮夜の調声人をさせていただくことになりました。最初は不安で、あまり声がでませんでしたが、お参りにきた皆さんの声に後押しをされ、大きな声で勤め上げることができました。これも偏にみなさんのおかげです。それだけではありません。会中、婦人会、壮年会を始めたくさんの門信徒の皆様に支えられ、「大丈夫かい?」「疲れてないかい?」「手伝うことある?」とたくさん声をかけていただきました。そのおかげでお参りも、その準備も後片付けなどが滞りなくでき、何とか無事に報恩講を勤め上げることができました。まさに皆様で作り上げた報恩講だった思います。それと同時に恩に報いるということがどれほど難しいかを感じました。
 この度の報恩講で気づいたことは、普段どれだけたくさんの人に心配していただき、そして支えてもらっているかということです。そしてこれは報恩講に限った話ではないと思います。普段の生活の中でも、多くの人に支えられて「当たり前」が成り立っていると感じました。その「当たり前」によって今の自分がいると気づかされることとなりました。
 最後になりますが、お寺というのは住職、坊守、寺族そしてなりより門信徒の皆様と一緒に護っていくものです。この度の報恩講は住職が不在でも、おまいりをとめることはなかったという良い先例となることと思います。まさにこれがお寺を護っていくという形の一つではないでしょうか。これを機に気持ち新たにお寺と私達の関係をもう一度考え直す機会となればと幸いです。それでは皆さんよいお年を!
合掌

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