ふじおかゆうやのガバイはなし vol.05「利他のこころ」

 この度「寺報やすらぎ」が記念すべき節目である第50号を迎えました。このご縁に相応しい「ガバイはなし」をと思いましたが、周知の通り新型コロナウイルス感染症拡大によって、いまだ不自由な生活を強いられていること存じます。そこでみなさんに少しでも明るい話題を届けられればなと思います。
 さて、コロナ禍の中、暗い話題ばかりでしたが、明るい話題もありました。例えば特別定額給付金の使い道として、寄付にあてたいという選択をする人は、若い世代を中心に高い割合となっています。自分だけではなく、他の人にも何かをするということが広がってきています。この様子をみてまさに仏教でいうところの「利他(りた)」を実践していると感じました。「利他(りた)」の意味は人々に功徳・利益(りやく)を施して救済することとありますが、やさしく申しますと、自分ではなく人のためということです。
 冒頭でコロナ禍によって人の為に何かをするということが増えてきました。それ自体は有り難いことです。しかし、そこには同時に危うさも存在するのです。その危うさとは相手に見返りを期待してしまうことです。何かをするということは「こうしたらあの人は喜ぶはずだ」という思いが含まれています。しかしながら思いは思い込みでしかありません。「喜ぶはずだ」が「喜ばなければならない」になり、いつかし「喜ばないのはおかしい」という風にどんどんと乱暴になっていきます。そうなるともはや押しつけでしかありません。本来純粋な気持ちであるはずのものが、いつしか恣意的なものになり、思い通りにならならないからと怒りへと変わってしまうかもしれません。
 例えば僕の場合、父の日や母の日、何かのタイミングに北海道のおいしいものをよく実家へ送ります。今まで鮭やメロンやジンギスカンなど色々と送りました。送るたびに両親から「有難うね」や「佐賀にはないからめずらしかった」など電話でお礼を言われます。そんな中、なかなかお礼の電話がかえって来ない時が一回だけありました。ようやくお礼の電話がきたと思ったら反応が今までのそれと微妙に違うのです。「おいしくなかったかな?」と思いましたが、その時僕は重大な事実を忘れていたのです。僕が両親に送ったものとはアスパラガスです。北海道のアスパラガスは有名ですから、送ったら喜ぶだろうと思っていました。だからこそ反応が微妙なのでおかしいなと感じていました。その時に大事なことを思い出しました。実は佐賀はアスパラガスの生産がとても盛んなのです。その生産量は北海道に次いで2位です。アスパラガスを送ったら両親が喜ぶはずだと思っていましたが、両親からすれば「なぜ北海道のアスパラガスをわざわざ佐賀に?」と思ったことでしょう。まさに僕の思いは押しつけでしかなかったのです。
 なぜ「利他」から怒りへと変わるのか、それは相手を自分の行為によってコントロールしようとしているからです。見返りを期待し、期待通りにならないと怒る、もしかしたらみなさんも経験があるのではないでしょうか?こうならないためには自分が行った行為の結果はコントロールできないということを知ることです。コントロールできないということは見返りも期待できません。それどころか自分が予想したこととは全くの逆の結果になることもあります。ここに「利他」の面白さがあります。それは人の不確実性です。自分はこうなると思ったが、実際は違うことが起こった、だからなんて奴だと思うのではなく、「こういう考え方もあるのだ」と受け取ります。それは自分では思いつきもしなかったことを相手が教えてくれたわけです。それは自分にとって成長であり、まわりまわって自分のためになるのです。
 最後になりますが、人のために何かをするということはこのコロナ禍の中においてとても大切なことです。しかしそれは押しつけであってはいけません。言葉では簡単に言えますが、それは難しいことです。そしてそれを続けていくことはもっと難しいことです。だからこそ、自分にできることを少しづづ、コツコツとしていく、そしてそれはまわりまわって自分のためになるでしょう。まさに「情けは人の為ならず」です。 合掌

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