教え tell me – vol.12 夏といえば…

気がつけば今年もなかばが過ぎ、あっという間にお盆の時期を迎えることになりましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?私はというと、夜は夜で遅くまでテニスを応援し、朝は朝で早くからサッカーを応援するという日本応援日が多かったような気がします。

 また、お寺では4歳を迎えた寧々ちゃんが毎日汗まみれになりながら、元気いっぱい夢がモリモリと成長する姿を目の当たりにすることで、当たり前のように思える毎日が実は大切な毎日であることを教えられています。

さて、夏といえば、子供のころからの定番【夏祭り】が思い起こされます。私が幼いころ必ずといっていいほど家族で地元の花火大会に出かけ、リンゴ飴に金魚すくい、フランクフルトに型抜き、とひとしきり夜店をまわった後にみんなで眺める花火、そして最後にいつもの喫茶店で食べるかき氷が特別な味に感じられたものです。遠い子供のころの思い出とはいえ、おとなになった今も記憶に残っているのは本当にありがたいことです。しかしながら、大人になるにつれ楽しむ側から、楽しませる立場になることに徐々に気づかされます。

大学時代は子供たちを引率し、夏のキャンプを楽しんでもらうために様々な工夫を凝らすのに苦心しました。また、おとなになってからも、開教使として米国に赴任させていただいていたときには、今度は寺の檀家さんたちと会議を重ね【さくら祭り】のイベント成功のために創意工夫を重ねたものです。あらためて考えてみますと、子供の頃に楽しんでいた私たちが、今こうしておとなとなり、今度は子供たちを楽しませる立場になったのには大きな理由があります。

それは、大人になった私たちにとって大切なことを教えてくれるひとつが、子供の成長する姿にあるからではないでしょうか。私たちは、生きていく上で嬉しいことや悲しいことをきちんと受け止めて生きていかねばなりません。それは、最初からできることではなかったはずです。それがきちんとできるようになったのには、まず先輩たちから大切なものをいただき、そしてそれを次の世代へと伝える、その伝達こそが今生きている喜びが生まれてくる【お念仏】の教えだったと気づかされるのです。「念仏者は無碍の一道」と言う言葉がありますが、それは今ここにある私が、たとえどのような状態にあってもそれを受け止め、生きていくことができる道を教わり、そして教えていったからこそ、今もこうして念仏の声が続いていると感じています。

合 掌

この記事が掲載されている寺報やすらぎ