安楽寺法務員 暉峻康徳
さて、あっという間に12月になりましたが、今年は激動の1年だったと思います。ロシアのウクライナ侵攻、安倍元首相の銃撃死亡事件、エリザベス女王の国葬など驚くことが多かったような気がいたします。特にカタールW杯では、日本が「死の組」と呼ばれた1次リーグ戦でドイツに逆転勝利した!すごい!と思っていたら、勝てるであろうとの予想が強かったコスタリカに負け、勝つのは難しいだろうなあと思っていたスペインに逆転勝利を収めるという、まさに日本国中を一喜一憂させてくれた大ニュースとなりました。
スペイン戦をニュースの結果でしか観なかった私も、決勝リーグの相手はどの国だろう?絶対にテレビで観戦しよう!と意気込んで調べると「クロアチア」(前W杯2位)と分かったものの、欧州のどこにある国なのか?どんな選手がいるのか?全く知らないづくし…でも前大会2位といってもフランスやブラジルに比べたらまだチャンスがある気がする!と勝手に失礼なことを思いながらいざ観戦してみると、思いのほか手強いチームで延長戦の末PK対決で負けてしまいました。主力選手が次々とPKを止められたときなど、あのシュートを止めたなんて嘘でしょ?と思ったほどです。
日本に勝った「クロアチア」という国。不思議なことになぜか日本の代わりに戦ってくれているような気持ちになったので、クロアチアがどこまで勝ち進めるか次のブラジル戦も応援してみようという気持ちになりました。
ブラジル相手にクロアチアがどこまで食らいつけるのか?と観戦してましたが、これまたクロアチアの粘り強い守りで延長戦の末1対1になり、PK戦で見事勝利!正直、ブラジル優勢だと思っていた中での勝利だったのでとても感動しました。クロアチアのモドリッチ選手がPKを決めてガッツポーズした時など同時にガッツポーズをしたほどです。
試合終了直後、モドリッチ選手が負けて愕然としているブラジル選手の一人に歩み寄って行く姿が見えました。その時、彼が言った言葉が「PKは誰もが失敗するものさ。お前はワールドカップを勝ち取るよ。また違う年の大会だけど、お前が優勝するんだ。がんばれ」と伝えたことを聞いたとき、ルカ・モドリッチという選手がどんな人生を歩んできたのか気になり、クロアチアという国、モドリッチ選手の人生をあらためて調べてみました。
クロアチアは旧ユーゴスラビアから1991年に独立した国ですが、その時の内戦で6歳だったモドリッチ選手は同じ名前の祖父(ルカ・モドリッチ)を殺害されたという凄惨な子供時代を過ごしています。故郷に戻れることなく、行き場のない紛争難民となった彼が小さいからだをものともせず、様々な困難を乗り越えサッカーで年間最優秀選手に選ばれるまでの苦労を考えると並大抵の苦労人でないことがわかります。彼がロシアのウクライナ侵攻を知ったとき、真っ先に戦争反対の声をあげたことは罪のない人が自分と同じような体験をしてほしくないという願いがあったからです。準決勝でアルゼンチンに敗れたモドリッチ選手がスタジアムを出るとき観衆が総立ちで拍手を送ったことは、W杯が様々な民族や宗教や国境を超えた平和への一筋の光となることをすべての人が望んでいるからこそ、起きたことではないでしょうか。
合掌