教え tell me – vol.25 祖母の七回忌を迎えて

安楽寺法務員 暉峻康徳

 月日が過ぎるのは早いもので2021年もまもなく終わりを迎えますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?今年はコロナ禍2年目となり、ワクチン接種も進んだことで10月から緊急事態宣言も解除され、去年に比べ外出する機会も少し増えたかもしれません。
 ただ来年もまだまだ皆さん全員でコロナ禍終息を迎えられるように気を引き締めて来年を迎えたいものですね。
 北海道に来て14年目を迎えた今年、11月に実家の鹿児島で祖母の七回忌法要に出席させていただきました。6年前、父が祖母の葬儀で「母を見送ることができて本当に安心しました」という言葉にあるように行年101歳で亡くなった祖母は大変身体が丈夫な人でしたが、晩年になると認知症のため施設にお世話になりました。入所当初、祖母は自分の乗った車イスを自分の手で押して移動できるくらい活発な人でしたが、認知症が進んでくると私の顔を見ても「おまんさーどこの誰よ?」と言い出すようになり、最期のほうになると私の父を見ても「おまんさーどこの誰よ?」と我が息子の顔さえも忘れてしまうほどになり、父が「あんたの息子やっど!」と笑顔でこたえると学校にはちゃんと行ってるのか?身体はどこも悪いところはないか?と父のことをまるで小さいこどものように心配している姿を今でも思い出します。
 七回忌法要の最後に父が挨拶で「人間オギャーと生まれては多くの人のお世話になり、また長生きして年齢を重ねてくると赤ちゃんのように多くの人のお世話にならなければ生きていけない人生が誰にも待ち構えている。心も身体もすべておまかせじゃっど」と言い、年老いた祖母が認知症でだんだん分からなくなってくる姿を見せてくれることで自分自身もまた同じような姿になるんだぞ!と身をもって教えてくれたことを語りました。
 親鸞聖人が師である法然上人からいただいた言葉に「愚者になりて往生す」というものがあります。人はどんな人であっても、今まで生きてきて得た知識や経験を活かし、自分を正しいもの「頼みの綱」として物事を判断し行動して生きていかねばなりません。
 しかし、祖母が亡くなるまでの姿を私たち家族に見せてくれたとき、「病にかかれば「自分」は「自分」が思っているよりも弱く脆くなり、自分自身さえも全くあてにならないんだよ」と教えてくれたことを受け止めていかねばなりません。愚者になるとは、人生で一番頼みの綱としてきたこの「自分」の身体も心さえもあてにならないんだよ、後はすべて仏さまにおまかせするしかないんだよ、ときづかされたときに出てくる言葉だ と、あらためて祖母の七回忌を迎えることで感じさせていただいた一年のしめくくりの出来事でした。 合掌

この記事が掲載されている寺報やすらぎ