教え tell me – vol.24 言葉の大切さ

 短いようで長く感じた2回目の緊急事態宣言がようやく終わりを告げたかと思えば、引き続き、まん防(まん延防止等重点措置)へ移行となり、なんだかよくわからないうちに夏を迎えることになりましたが皆さんいかがお過ごしでしょうか?コロナ禍になり1年半、いまだに慣れない自粛生活を余儀なくされる毎日にストレスをため込んでいる方も大勢おられることと思います。今は、わたしたち一人ひとりが自覚を持って日々生活していくことがコロナウイルス終息につながる一番の近道であると信じましょう。
 さて今回は、私がアメリカのコロラド州に開教使として奉職していた頃の話です。私の勤務時間は朝10時~16時、昼休憩も含め約6時間、ずいぶん短い勤務時間なので、上司に『この勤務時間で間違いないんですか?』と尋ねると『ええ、何事もなければ16時に帰宅してOKですよ』と言われルンルン気分でいたところ、上司が『あ、でも日曜だけはサンデースクール(日曜学校)がありますので頑張ってくださいね』と言われ、頑張るって何を頑張るのだろう?日曜学校は子どもの頃に実家のお寺で経験していたので、なんとかなるだろうさ、と高をくくっていました。そして日曜当日、開始時間が近づいてくると、だんだん人が集まってくる姿が見えたので、何人集まるのだろう? と何気なく人数を数えてみると…約280人近い人々が集まってくるではありませんか! だんだん自分の足が震えてくるのがわかり、結局初めての日曜学校は自分でも何をどう話したのか全く記憶がないくらい苦い思い出となりました。
 朝9時に子ども向けの読経と法話、引き続き10時より大人向けの読経と法話、これを毎週日曜日に上司と私の二人で交互に勤めなければならず、最初の頃はろくに英語をしゃべれない状況だったこともあり、何とかごまかしてきたような感じでした。数か月も過ぎると、だんだん日曜日を迎えるのが辛くなってきたのですが、そうも言ってられず、バイリンガルの家庭教師の先生を雇い、みっちりと特訓を受け、カセットテープに自分の恥ずかしい英語の発音を何度も何度も録音したのが懐かしい思い出です。
 先生いわく、自称、英語がしゃべれます!という日本人はごまんといるそうです。けれどそのほとんどは本人ができる! と思っているだけで、地元の人からすると、「日本人が一生懸命英語で何かを伝えようとしている、聞いて理解してあげないとかわいそうだ。」と感じる場合が多く、実際には目上の人に対する話し方や子どもに対する話し方、その他様々な状況下で誰が聞いても恥ずかしくない英語を話せる人はそんなにはいないそうです。観光旅行や所用で来るひとならともかく、暉峻さんの場合、毎週多くの人たち(しかも毎週同じ人々)が仏教の話を聞きにくるのですから、少しでもわかりやすい言葉で話を伝えることが大切なことにつながるのではないですか? 大袈裟な話ではなく、人生は言葉一つで救われることもあったり、また言葉ひとつで失うこともあるかもしれないのですよ、と言われたことは今でも忘れられない学びとして心に残っています。
 コロナ禍になり様々な状況下において対面して会うことが難しい世の中になってきました。リモート通話で仕事をしたり、入院しておられる方にとっても電話での会話のみが家族とのつながりとなる場面が増えてきたのではないかと思います。今を生きる私たちにとって、かわす言葉のひとつひとつが今まで以上に今日一日一日を大切につないでくれるということを自覚しながら生きていきたいものですね。

この記事が掲載されている寺報やすらぎ