東日本大震災十三回忌法要(札幌組重点プロジェクト) 令和5年2月25日

出勤された相馬組の皆さんと札幌組有志の皆さん

 安楽寺が所属する札幌組では重点プロジェクトとして震災及び原発事故以来積み上げてきた東日本大震災支援として、去る令和5年2月25日に相馬組 常福寺様(原町)にて「東日本大震災十三回忌法要」に組内有志7名で出勤させていただきました。これは、2016(平成28年)10月3日に本願寺札幌別院にてお勤めさせていただいた七回忌法要がご縁となり、相馬組様からお声がけをいただき実現したご縁であります。
 当日の午前中に、現地学習会として今まで放射線量が高く、訪れることが出来なかった浪江町の「光明寺」さんに伺いました。光明寺さんは原発から5kmほど離れておりますが、相馬組所属寺院の中で一番放射線量が高く、原発事故から3年半後にようやく帰還解除されたそうであります。その後、除染作業を行い、いまでは報恩講や通常の法務をようやく勤められるようになったとご説明をいただきました。次に、同じく浪江町の「常福寺」さんに伺い詳細なご説明をいただきました。昨年、本堂を専門的にお調べいただき、取り壊さずに修復が出来る事が確認され、現在、お寺の再建を目指し、御本尊や仏具、掛け軸類は全て京都で修復されているそうであります。また、庫裡や客殿は解体し、新築を目指し、来る令和9年が常福寺様の開基200年、そして東日本大震災十七回忌法要の当年となることから、そこを目標にしていると御住職様が大変明るい表情で仰っていたのが大変印象的でありました。
 次に、最も原発に近いお寺である双葉町の「光善寺」様を訪れました。光善寺様は昨年の8月30日にようやく帰還解除されましたが、既に修復は不可能と判断し、現在、寺基移転を目指し奔走されているとご説明をいただきました。山門や庫裡は崩れたまま瓦礫と化し、震災当時そのままの姿を目にし、参加した全員が驚愕したことでありました。また、原発事故当時の状況も詳細にご説明いただき、たまたま9割方空気の流れで放射線が太平洋に流れていったのでこれくらいの被害で済んだんですよと説明を受けたときには背中に冷たいものを感じたことでありました。
 最後に、「東日本大震災・原子力災害伝承館」を訪れ、屋上から震災当時の状況を詳しくご説明をいただきました。海に向かい左側(北側)が津波が襲った地域で未だ手を付けられないとのこと、また右側(南側)を見渡すと、たくさんの重機が作業を行っており、こちらは汚染された土や、汚染された瓦礫を貯蔵する中間貯蔵施設になるとご説明をいただきました。
福島に着いたときに、以前は汚染された土を詰めたフレコンバックが山積みにされておりましたが、それを一切見かけなかったのはそういうことかと合点がいきました。駅や公的なものは新たに建設され、キレイな町並みが戻って来ているなと感じておりましたが、実際に現地を訪れ、被害を受けられたお寺様から詳細なご説明をいただく中で、正直、復興は何も進んでいないなと強く感じたことでありました。午後2時より、ご門徒の皆様はもちろんのこと、東北教区教務所長、他教区の震災ネットワークの方々のご参詣をいただき「東日本大震災十三回忌法要」を大変賑々しく追悼の思いと復興の願いを込めてお勤めすることができました。
合掌 (住職記)

浪江町光明寺様にて詳細なご説明をいただきました。常にガイガーカウンター(放射線測定器)を持ちながらの研修となり、現地での緊迫感が伝わりました。

浪江町常福寺さまにて 令和9年に常福寺様の開基200年と東日本大震災十七回忌を修復されたご本堂で是非ともおまいりしたいねと皆さんで誓い合いました。下の画像は現在法務で使用しているプレハブ建ての仮本堂です。

8月30日に帰還解除となった双葉町光善寺様 原発に一番近いお寺様です。瓦礫と化した山門や庫裡をみて言葉を失いました。現在、寺基移転に向けて奔走されております。

東日本大震災・原子力災害伝承館から、左の画像(北側)が津波が流れ込んだ地域 右の画像(南側)が中間貯蔵施設を建設中の模様ですが、いまだ最終的に汚染物を貯蔵する所は決まっていないそうであります。

この記事が掲載されている寺報やすらぎ