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分骨は“身を裂く”行為なのか…? 仏縁を増す

これもあるご婦人の相談です。
「主人が亡くなり、その遺骨をご両親の要望もあり、故郷のお墓に納めることになりました。しかし、何分にも遠いところで、なかなかお参りに行けそうもありません。また息子もこちらで働いているので、将来のことも考えて、こちらでもお墓を建てようかと思っています。ところが“分骨はいけない”ということを聞きます。どうすればよいでしょうか」
こんな内容でした。
「分骨はいけない」と思っている人が確かにいるようです。聞くところによると、分骨することによって故人の“身が裂かれ”てバラバラになり、故人が迷ってしまうというのです。
これは遺骨そのものを故人と見てしまうとらわれの結果です。くどいようですが、故人は“骨”ではなく、限定して捉えることのできない存在になっているのです。そうした故人の遺徳を偲ぶ縁として遺骨があるわけです。
遺骨を前にして、縁ある人々が少しでも多く故人の遺徳を偲び、如来様の広大なお慈悲に遇うことができれば、むしろ慶ばしいことと言わねばなりません。ですから「分骨がいけない」理由はどこにもないのです。
お釈迦様のご遺骨(仏舎利)のことを考えれば、なお一層はっきりしてきます。
すなわち、荼毘にふされたご遺骨は、お釈迦様を敬い慕う各国の人々によって八つに分骨され、それぞれの国に持ち帰って仏舎利塔が建立されます。そこからまた、さらに分骨されて数多くの仏舎利塔が建てられるようになったのです。
それだけお釈迦様のご遺徳を偲び、そのみ教えを信じ慶ぶ人びとが多かったということであり、また、そういう自ずと湧き出てくるお釈迦様への尊敬の念が、仏舎利塔すなわちお墓を建てしめたのです。
こうしたお墓の原点を考えれば「分骨はいけない」という発想はわいてこないのではないでしょうか。

ポイント
◎分骨が“身を裂く”ように思う心が問題。
◎分骨によって仏縁が増えればむしろ慶ばしい。

(仏事のイロハより抜粋)

写真

おもしろフォト vol.19

お盆まいりで疲れたからと佐々木法務員に肩を揉んでもらっているテルオカくん

こんなに力を込めているとも知らずに・・・

この二人とにかく仲が良いんです。いつもじゃれています!力くらべをして・・・

結局こうなるう!見て下さいこの表情!

報恩講の法要後、プチ撮影会みたくなってしまいました・・・。総代の粟井さんと寧々

報恩講ご満座法要の前に、娘から稽古をつけてと! うれしいじゃないですか!父としては・・・すみません、親バカで・・・。

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ふじおかゆうやのガバイはなし vol.02

 皆様こんにちは。佐賀県人の藤岡です。僕が安楽寺様に法務員としてお勤めさせて頂いてから、はや半年がすぎ、2019年も終わろうとしています。少しは成長できたでしょうか?少なくとも寒さに対する耐性は強くなったきがします。さて今回の「がばい」話は雪についてです。みなさん雪に対してどんな印象を受けますか?ちなみに僕は北海道に来て雪に対する印象がガラッと変わりました。
 北海道での初めての冬です。11月に入るといつ雪が降るんだ?なんとなく楽しみのような恐ろしいような、なんともいえない気持ちでいまかいまかと雪を待っていました。といいますのも、私の生まれ故郷である佐賀はあまり雪が降りません。降っても積もりません。積もっても北海道の比ではありません。雪が少しでも積もるとニュースになり交通に影響が出るほどです。ですから、僕にとって雪というのは様々な意味で特別なのです。
 小学生のころ佐賀にも珍しく雪が積もったことを今でも鮮明に覚えています。当時は子供ですから嬉しくて仕方がなく、学校の登下校、休み時間に友達と雪合戦をしていました。授業のチャイムが鳴ってもまだ遊び続けていたので先生に怒られたのを思い出します。とにかく、僕にとって雪とは特別なことで非日常だったのです。中学、高校、大学にいくような年齢になっても雪が降るとなると空は曇っていますが気分は晴れやかです。そんな僕だからこそ雪にそこまで嫌な感じはせず、どこか楽しみのような気持ちでした。
 去る11月7日ついに札幌にも初雪が降りました。僕にとっては待望の雪でしたが、周りは「ついにか…」といった反応でした。正直に言って僕が持つ印象と北海道の人が持つ印象に差があることは薄々気づいていました。お参りに行く家々で雪の恐ろしさ、大変さを聞いてはいたものの、恐ろしさより好奇心が勝り、まぁ大丈夫だろうと高を括って勝手に安心している自分がいました。
 あくる朝、やけに冷えるなと思いつつ外に出ると一面真っ白です。その様子を嬉しさのあまり写真を撮っていたところ「がばい」ことに気が付きました。そう、滑るんです。すごく滑るんです。まるで僕のギャグみたいに…そしてさらにもう一つ「がばい」ことがありました。冷静に考えてみると車の運転をしないといけないのです。もちろん雪道運転は初めてです。この時になってようやく事の重大さを理解しました。いつもの景色が変わっているのでどこを走っているのか、どこを走るべきなのか、そもそも走っていいのか、頭は真っ白、景色も真っ白、必死の思いで檀家さんの家にお参りにいきました。
それからというもの毎朝カーテンを開けては一喜一憂する生活が始まりました。ですが気づきもありました。北海道にこなければ雪の印象は変わることはなかったし、雪は綺麗だとしか思わなかったでしょう。しかし今は雪の大変な面も知ることができ、貴重な経験をさせていただていると感じるようになりました。知らず知らずのうちに物事の一面しか見ていなかったようです。北海道の雪によって「がばい」とは言いませんが少し成長できた気がします。それではみなさん良いお年を!

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教え tell me – vol.21 年末を迎えて

 月日の経つのは早いもので、2019年もまもなく終わりを迎えます。ちょうど今頃、今年はどんな1年だったかなぁと、ゆっくり大晦日の紅白を見ながら振り返る人も少なくないのではないかと思います。

 さて12月といえばクリスマス。プレゼント交換したり、ごちそうを食べたりと楽しいことがあります。ただクリスマスにキリストの誕生を心の底から祝っている日本人がどのくらいいるのでしょうか?口ではメリークリスマス!と言いながら、24日を彼氏彼女と過ごす口実にしたり、宗教的な意味抜きでプレゼント交換をしていたりします。 そうは言ってもクリスマスがとにかくめでたい日であるという意識は日本人の中に強く根付いており、キリストをそこまでお祝いする気持ちにはなれなくても12月25日がキリストの誕生日だということは、ほとんどの日本人が知っていることです。一方で、お釈迦さまの誕生日が4月8日だということを知っている日本人がどのくらいいるのでしょうか?

 以前某テレビ番組で「イエス・キリストの誕生日であるクリスマスは盛り上がるのに、お釈迦さまの誕生日で盛り上がらないのはおかしい!」と主張していた吉本新喜劇の座長である小籔千豊さんがこのようなことを発言しておりましたので紹介させて頂きます。

「皆さん、12月25は何の日ですか?」-クリスマス。
「じゃあ、2月14日は?」-バレンタインデー。
「では、10月31日は?」-ハロウィン。
「じゃあ4月8日は何の日ですか?」会場は誰も反応できず場が静まり返ります。
 小籔さん「4月8日は、お釈迦さまの誕生日じゃっ!」と一喝!

 そしてそれに続く内容がとてもユニークで、「4月8日にクラブでパーティーをしよう!」「天上と天下を指さすポーズで踊ろう!」と言われたり、やっぱりバレンタインや恵方巻のように食べ物もあるといいから「フライドポテトと粉チーズやお塩を紙袋に入れてシャカシャカ振る『釈迦釈迦ポテト』」、『ホットケーキ(仏ーキ)』を食べて、お釈迦さまの誕生日をお祝いしよう!と話されていました。その後かなり多くの反響が見てとれたのを受けて小籔さんは、4月8日に『お釈迦さま‘S B.D. FLOWER FESTIVEL!!』と題したパーティーを開催し、多くの若者の心に仏教に触れる機会(ご縁)を作ってくださいました。
 形はどうあれ仏縁を増やす彼の行為はとても喜ばしいことだと思います。いつの日かこの積み重ねが、お釈迦さまの誕生日を国民的行事にする大きなきっかけになり、またひとりでも多くの人の心に仏教が届いてくれることになれば、僧侶としては嬉しいかぎりです。
そして私自身も小籔さんのように仏縁を広める努力を少しでも増やしていけるように念じて年末最後の言葉にかえさせて頂きます。

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「やすらぎ」47号発刊にあたり


 慈光照護の下、門信徒の皆様におかれましてはご清祥にてお過ごしのこと大慶に存じ上げます。又、日頃より当寺護寺発展の為に並々ならぬご尽力を頂いておりますこと、重ねて御礼申し上げます。
 寺報「やすらぎ」第47号を門信徒の皆様のお手元へお送りさせて頂きました。今年の夏からの出来事を中心に、この度も写真を多く掲載し、この半年を振り替えられるように致しました。どうぞご高覧下さい。
 さて、皆様も中にも注目をして発表を楽しみにしていらっしゃる方がおられると思いますが、今年の世相を表す漢字、毎年12月12日に京都の清水寺で発表されます。今年は「 令 」という字になりましたね。
 新元号の「令和」や「法令改正」による消費増税、災害による「警報発令」などの象徴する一字として最多の得票数を集めたそうであります。 
 少し安易な感じも致しましたが、1995年に始まり、令和になって初めてとなる今年の漢字。この度で25回を数えるそうであります。
 私、個人的には、「 和 」という字が選ばれるのではないかと考えておりましたが、「 和 」は得票数は2番目だったそうです。なぜ、「 和 」かというと、今年の流行語大賞に選ばれたのは、ラグビーワールドカップで、日本チームのスローガンであった「ONE TEAM」でありました。学生時代、ラグビーに励んだ私自身は、今年はまさにラグビー一色の一年だったからであります。
 流行語大賞に選ばれた「ONE TEAM」、政治学者の姜尚中(サン・カンジュン)さんはこうコメントしておりました。【明暗がくっきりと際立った一年だった。想定外の自然災害の連続や閉塞感、イジメや政治の淀みなど、たとえて言えば、「白々しい闇」が広がり、弾けるような流行語・新語が見出し難い一年だったように思う。その闇を払ってくれたのは、なんと言ってもラグビーの、思ってもみなかった(選手には失礼!)大活躍と国民的な熱狂だった。 この明がなかったら、 今年は不作の年だったに違いない。ラグビー、さまさまの一年だった。】と語られておりました。本当にラグビーワールドカップで日本チームのあの活躍がなかったら今年は、明るいニュースが何一つない、益々閉塞感に包まれた一年ではなかったかと思います。
 健康社会学者の河合 薫さんもある雑誌のコラムで、現日本ラグビーフットボール協会副会長の清宮克幸氏(早大ラグビー部出身)をインタビューされたときの模様を紹介しております。
 【数々の金字塔を打ち立ててきた清宮氏だが、そのきっかけは早稲田からサントリーに入り、キャプテン失格になったことだと話してくれた。
 清宮氏はサントリーに入社後、「こんな練習をやっていたら日本一なんかなれない。俺にキャプテンをやらせろ!」と25歳のときにキャプテンに就任する。
 ところが出る試合出る試合負けばかり。27歳までキャプテンをやり続けたが一度も勝てなかった。で、キャプテンをやめた翌年、全国社会人ラグビーでサントリーは優勝する。「やっと俺が間違っていた、俺に足りないものがあったと受け入れられました。結局、『俺が俺が』ってとにかく独りよがりだった。なんでも自分でできると過信していたんです。チームは組織。組織が機能するチームにしないとダメ。自分でできることは限界があることに気づいたんです」(清宮氏)。
 どんなにリーダーが優秀でも、リーダーシップを発揮するにはフォロワーであるメンバーたちの力が不可欠。チームにはチームワークを発揮させる仕組みが必要であり、チームの力はリーダーの価値観がクモの巣のようにチームに張り巡らされ、クモの巣から誰一人として漏れない組織がつくられて発揮できる。】
 どんなに能力があろうとも、周囲と「いい関係」がない限り、その能力が生かされることはない。
 人から信頼されている、愛されている、見守られている、認められていると認識できたとき初めて、人は安心して目の前の難題に全力で取り組むことができる。自らの行動に責任を持ち、自分の力を極限まで引き出す胆力が育まれる。ラグビー日本代表はそんな人の本質を教えてくれたのだ。
と語られていました。
 また、かの松下幸之助さんの言葉も同時に紹介されておりました。【和の精神とは、人と対立することを避けて、表面的に仲良くやっていくという意味での和ではありません。私たちが考える和の精神とは、まず皆が自由に正直に話し合い、お互いの意見や価値観に違いがあることを認め、その違いを尊重したうえで、共通の目標のために協力し合うという、相違や対立の存在を前提とする和なのです」と説いたが、これも真のチーム力の言葉ではないか。】
 ラグビーはそもそもイギリスという国で生まれたスポーツですが、実際にプレーをしてきた私自身が沢山経験させていただいた中で、きわめて仏教の教えに近い、或いは浄土真宗の教えに近いスポーツだということを常々感じておりました。
 それは、にわかと言われたファン層でも、これくらいは知っていることです。それは、ラグビーというスポーツはボールを前にいる人にパスが出来ないスポーツです。前にパスをするとスロウフォワードという反則になることは、皆さんもこの度のワールドカップで憶えたと思います。決して前にパスをすることが出来ない、ボールを持っている人の後ろに回って、パスを受ける。すなわちその人のフォローをするわけです。そのフォローを何人ものプレイヤーがボールを守り続けて、繋いで繋いでトライをするというゲームです。
 そこには「揺るぐことのない信頼」というものがなければ決して成立することが出来ない、物事を成就することは出来ないわけであります。
 本願寺第25世専如門主は2016年の伝灯奉告法要の際に「念仏者の生き方」をお示しになられております。その中で、「私たちはこの命を終える瞬間まで、我欲に執(とら)われた煩悩具足(ぼんのうぐそく)の愚かな存在であり、仏さまのような執われのない完全に清らかな行いはできません。しかし、それでも仏法を依りどころとして生きていくことで、私たちは他者の喜びを自らの喜びとし、他者の苦しみを自らの苦しみとするなど、少しでも仏さまのお心にかなう生き方を目指し、精一杯(せいいっぱい)努力させていただく人間になるのです。」と大変平易なお言葉で、私達のすすむべき生き方をお示し下さいました。
 先に述べた、「揺るぐことない信頼」は「仏法(仏様の教え)」、そして、「何人ものプレイヤーがボールを守り続けて、繋いで繋いで」は「他者の喜びを自らの喜びとし、他者の苦しみを自らの苦しみとする」と置き換えて考えてみると、極めてラグビーと仏教の教えというものは、通じるところがあるのだなあといただいております。
 ラグビー通じて皆様も、感動や気付きがあったと思います。そして私が申し上げた共通点を踏まえて考えていただいたときに、あらためて、ご門主様がお示しして下さった念仏者としての生き方、すなわち「仏さまのような執われのない完全に清らかな行いはできませんが、・。・・少しでも仏さまのお心にかなう生き方を目指し、精一杯(せいいっぱい)努力させていただく人間になるのです。 」とのお示しをしっかりといただいて、この一年を振り返りながら、来る年、新たな念仏生活のスタートを共々にきり、この一度きりの人生、大切に大切に歩んでいきましょう。
 日本人の心の奥底には、仏教伝来から仏様の教えが根付いていると私は信じています。それは、お彼岸やお盆の時期になるとテレビのニュースから流れてくる光景が証してくれています。ですから、この度のラグビーワールドカップ、日本で開催され、大成功を収めたのは、日本という国は伝統的に仏教国、仏教の教えが根付いてるからこそであったと、あらためてこの一年かを振り返って感じたことでありました。合 掌

仏教壮年会・仏教婦人会

仏教婦人会報恩講 令和元年12月16日

 今年最後の大きな行事となります、仏教婦人会主催の宗祖親鸞聖人報恩講。毎年、12月の命日講に併せてお勤めをさせていただいております。
 今年は、昨年開催できなかった小規模製作所(ワークショップ上野幌さん)の展示即売会と好評頂いておりますあみだ堂仏具店さんの出店を致しました!どちらも大盛況でしたよ!
 そして今年の春から再び合唱団シャンティのご指導を佐藤卓見さん(法城寺)にいただいておりますが、その練習の成果を発表するコンサートを午前11時から本堂にて開催致しました。団員の皆様、とても声も出ていて、美しいハーモニーを聞かせてくれました!これも佐藤さんのお陰です!来年も開催しますので、是非ご門徒の皆様、シャンティの歌声を聞きに来て下さいね。
 布教使には、昨年、胆振東部地震によって大変な被害を受けられた安平町追分 安立寺住職 佐々木学嗣 師をお招きし、「466日の歩み~震災を受けて~」と題して、復興までのお寺の道のりを詳細なデータを元に作製された映像とお話しをいただきました。地震を通して気づかれた、とても大切なことをお聞かせ頂きました。
 今年最後の大きなご法要を無事にお勤めし、安堵しております。お寺の核である婦人会主催の報恩講。毎年様々な試みを行っています。是非ともこの婦人会の活動を目の当たりにして頂きたく思います。会員以外の方もご参詣していただきたいと思いますので、来年は是非ともお詣り下さい。

あみだ堂仏具店さんの出店とワークショップ上野幌さんの展示即売会を開催致しました!

佐藤卓見さんのご指導が復活し、新しく生まれ変わったかのように素晴らしい合唱でした!

お客様として来られた方々も酔いしれておりました~♪

 迫力のあるコンサートが終了し、おひねりがお客様から飛び出すなど、本当に盛り上がった時間となりました。
 正午となり1階ホールにて、皆さん楽しみにされていた「おとき」の時間となりました。今年も境内の銀杏の木がもたらしてくれた秋の味覚、「銀杏ご飯」を中心としたおときのメニューでございました。

銀杏ご飯はもちろんのこと、お煮染めものっぺも みんな美味しかったですよ!

打敷も婦人会の報恩講らしく華やかに赤色のものをお掛けしました お供えは紅白のお饅頭とミカンでした

総代の粟井さんが婦人会の報恩講らしく可愛くお花を活けてくれました

皆様と「宗祖讃仰作法 音楽法要」をお勤め致しました総代の粟井衣に召し替え再び佐藤さんが指揮を執ってくれました!

 主催者を代表して、今年の1月から婦人会の会長に就任されました水口京子さんからご挨拶をいただきました。新しい執行部となり、やっと一年が経ちますね。いろいろと初めて事ばかりでご苦労があったと思います。本当にお疲れ様でした。
法要終了後、昨年の胆振東部地震によって大変な被害を受けられた安平町追分 安立寺住職佐々木学嗣 師より「466日の歩み~震災を受けて~」と題して、復興までのお寺の道のりを詳細なデータを元に作製された映像とお話しをいただきました。浄土真宗の教えを通して気づかれた、大事なことをお聞かせ頂きました。